モンゴルの女性起業家に投資する

モンゴルでは中小企業の約3分の2を女性が経営している。ここでは、女性が経営する企業向けの融資制度が会社の成長をどのように支えてきたかについて3人の女性起業家に話を聞いた。

チャンツァルドュラム・バートル、ムンクツェツェグ・プレブスレン、ムンクツェツェグ・ジャダンバー

チャンツァルドュラム・バートル、ムンクツェツェグ・プレブスレン、ムンクツェツェグ・ジャダンバー

文:アリソン・バックホルツ、ジン・ユー

マルチメディア:マリア・ギャラン、ジュリア・シュマルツ

モンゴルの女性起業家は、女性特有の課題に直面している。同国では中小企業の3分の2を女性が経営している一方、彼女たちが銀行から融資を受けるのは難しい。伝統的に不動産の権利書は男性名義であるため、妻である女性が住宅や土地を担保にするには夫の同意が必要となる。女性が融資をなんとか受けられたとしても、その額は概して不十分だ。融資額にはジェンダー格差があり、女性にはより高い金利が適用されるとの調査結果もある。

こうした困難にもかかわらず、チャンツァルドュラム・バートル、ムンクツェツェグ・プレブスレン、ムンクツェツェグ・ジャダンバーの3人の女性起業家は成功を収めてきた。IFCから1億3000万ドルのシンジケートローンを受けたモンゴルのハーン銀行による資金支援が、3人の事業成長の鍵となった。IFCがハーン銀行に融資した資金の半分は、IFCのバンキング・オン・ウーマン・プログラムの一環として、女性起業家資金イニシアティブ(We-Fi)や女性起業家機会改善ファシリティの支援も受け、女性が経営する企業向けの融資に充てられた。これにより、2023年初め以降、ハーン銀行において、女性が経営する企業向けの融資体制は一層強化されてきた。この融資は、IFCのソーシャルボンドの調達資金によって実現したもので、女性に対する融資のみに充当された。

こうした資金を活用して、起業家たちは工場の建設、輸出の拡大、事業の多角化を実現し、モンゴルのビジネス風景を変えるとともに、次世代の女性の背中を後押ししている。

チャンツァルドュラム・バートル

Urgana創立者兼ディレクター

1669年以来、バートル家のモンゴル人男性は10世代にわたって伝統医学を実践し、その土地に自生する植物やハーブ、治療法の知識を息子たちに伝えてきた。11代目のチャンツァルドュラム・バートルも父親から教えを受け、伝統を受け継ぐ初の女性となった。彼女は一家に伝わる専門知識は現代でも同じぐらい価値があると考えており、2021年には古来の療法が現代のニーズにどう呼応できるかを再考する会社を設立し、地元産のオーガニック原材料を使った家庭用品やパーソナルケア用品を製造してきた。

「古くから伝わる知恵を21世紀のビジネスとして生まれ変わらせることは多くの面で理にかなう。私たちの知識はモンゴルの人々が何百年にもわたって培ってきたもので、今後も人々に活用されるようにすべきだ。同時に、こうした製品はモンゴル経済の成長に貢献し、地域社会を支え、文化の保護にもつながっていく」とチャンツァルドュラムは言う。

古いものと新しいものの融合

チャンツァルドュラムは、モンゴル東部で400種類以上の伝統薬の原料となるさまざまなハーブを採取しては粉に挽き、研究しながら育った。米国で経営学の学位を取得した後、彼女はホームとライフスタイルのブランド「Urgana」を立ち上げた。2021年の創業以来、Urganaは鉱物、植物、ハーブといった原料を扱うモンゴル国内300社以上のサプライヤーと取引してきた。製品の数はカルダモンと海塩を使った歯磨き粉、ネトル種子油配合のシャンプー、サジー入りのハンドクリーム、地元の花のエッセンスで香り付けした(同社の最も人気の商品でもある)食器用洗剤など、50種類にのぼる。

地域社会に根差した同社の事業は、工場周辺に住む女性たちに就業機会をもたらしている。実際、従業員の9割以上が地元の女性だ。チャンツァルドュラム自身も2人の幼い子どもの母親であり、家庭と仕事の両立の難しさを知っている。従業員の家庭での責任に配慮し、Urganaでは2交代制などの柔軟な勤務時間制を導入している。

「ここでは伝統的に女性が家事を担っており、女性労働者は多くの障害に直面している。女性たちが家族の世話をしながらでも生計を立てやすいようにしている」と彼女は語る。

女性起業家も大きな課題に直面している、とチャンツァルドュラムは指摘する。特に資金調達のハードルが高い。夫婦共有の不動産の権利書が男性名義のため、女性が土地や資産を担保にするには夫の許可を得る必要がある。彼女の場合、創業当初から父親や夫など家族の支援があり、Urganaの設立と拡大のためにハーン銀行から融資を3度受けることができた。これにより、運転資金を確保し、給与支払いや新製品の開発を進めることができた。こうして同社は急成長を遂げ、従業員数は2021年の12人から現在は70人にまで増えている。売り上げが好調なこともあり、チャンツァルドュラムは近代的なインフラを備えた新しい工場の建設計画にも着手している。

同社の成長の大部分は、中国やカザフスタンなどモンゴル系人口の多い国への輸出によるものだ。オーガニック原材料の使用や堆肥化可能な包装に関する世界基準を追求するというチャンツァルドュラムの決意の下、Urganaは2製品でEU向けの輸出認可も取得した。これによって市場機会を拡大できるだけでなく、「モンゴルが提供できるものを世界に示せる」とチャンツァルドュラムは語る。

ムンクツェツェグ・プレブスレン

Talst Urlan LLC創立者兼オーナー

1990年にモンゴルが社会主義から市場経済へと移行したとき、国営企業で働き続けてきた多くの人々が生計手段を失った。ムンクツェツェグ・プレブスレンにとっての転機は、夫の発電所が倒産したことだった。「私たちは皆、生き延びる方法を見つけなければならなかった」と彼女は振り返る。そんな折、親戚の一人から銀細工の技術を教わり、彼女たちはビジネスを始めるよう勧められた。

当初から、ムンクツェツェグと亡き夫は、モンゴルの儀式用品を伝統文化に根ざしながらも現代的なデザインに一新するというビジョンを抱いていた。「モンゴルの伝統に敬意を払いながらも、現代の顧客のニーズに応えるものづくりを大切にしてきた」と彼女は語る。

最初の作品は宗教儀式で使用される小さな銀のボウルだった。夫妻は会社を「Talst Urlan」(概ね「銀と水晶」という意味)と名付け、ムンクツェツェグが販売と生産を担当し、夫が商品のデザインと製作を手がけた。2015年にはハーン銀行の支援を受けて正式に法人化し、市場で露店を開いて販売を始めた。やがて、2人の息子も職人としてビジネスに加わり、モンゴルの歴史に着想を得たオリジナルの彫刻、戦士をモチーフにした乗馬用サドル、民族衣装デール用の銀製ベルト、馬頭琴をはじめとする伝統楽器など、商品の幅を広げていった。2021年には、ウランバートルの中心地にある繁華街に工芸品と宝飾品の店を開いた。

外部とのパートナーシップ

ムンクツェツェグは、従業員30人とすべての調達先がモンゴルの人や会社であり、さらに他のセクターにも雇用を生み出していることを誇りに感じている。同社の作品には、精巧な作りの真鍮と銀のチェスセットなど、特注の箱や専用の輸送資材を必要とするような繊細なものもある。国内の包装セクターは十分に発展していないため、Talst Urlanは地元企業と提携し、自社のニーズにあわせて包装資材を生産している。

同社は、科学者や自然保護活動家とも協力し、国内の職人の中でも独自の領域を切り開いてきた。現在CEOを務めるムンクツェツェグの息子は、地元の科学者と協力し、絶滅の危機に瀕する希少動物をモチーフにした小型のブロンズ彫刻シリーズを制作した。これらの作品は、都市化や汚染、気候変動など、動物が直面する課題への意識を高める活動に着想を得て生まれた。

テクノロジーが同社の成長と創作活動を大きく後押ししてきた。Talst Urlanはハーン銀行からの最初の融資では工房に不可欠な機械を整え、さらに、最近の融資によって、試作品の開発を従来の図面作成ではなくオンライン上で行うための3D技術を導入することができ、時間と素材を節約できるようにもなった。

新製品の開発を続ける中で、ムンクツェツェグは常に市場のニーズを注視している。「人々は、親しみやすく、手頃な価格で実用的な商品を求めている」と、彼女はモンゴルの伝統模様をあしらい、銅のラインが入った磁器製のマグカップを手に取りながら語る。店の人気商品だ。モンゴルでは昔から、健康に良いとされる銅をはめ込んだボウルでミルクティーを飲む習慣がある。しかし、「今日、オフィスで働く人にとって、こうしたボウルは実用的とは言えない」と彼女は指摘する。そこで、伝統的なデザインを生かしながらも日常使いしやすいマグカップを開発した。「こうすれば、昔ながらのものを失うことなく、人々のニーズに応えることができる。」

「男女が同じくらいのリソースを得られれば、(モンゴルの)経済にとって大きな追い風となる。」

ムンクトゥヤ・レンツェンバット、ハーン銀行CEO

ムンクツェツェグ・ジャダンバー

Mongol Vann Construction創立者兼マネージング・ディレクター

ムンクツェツェグ・ジャダンバーは、幼少期から将来製造会社を経営しようと夢見ていたわけではない。1990年代後半、モンゴルの首都ウランバートルでジャーナリスト兼教師として働いていた彼女は、取材を通じて物語を書くことが自身のライフワークになるのだろうと考えていた。しかし、結婚後に事情が変わる。夫がモンゴルで就職先を見つけられず、韓国の浴槽製造会社に職を得て渡韓したため、ジャダンバーは2人の幼い子どもの世話のために家庭に入ることになった。

「知り合いの夫婦の多くは、夫が海外で働くことで離ればなれになり、最終的に離婚に至っていた。私たちはそうなりたくなかった」とジャダンバーは当時を振り返る。当時、モンゴルは建設ブームの真っただ中にあったが、国内の製造能力には限りがあり、住宅資材を輸入に頼っていた。彼女はこれに着目する。「あなたの専門知識を活かし、モンゴルでビジネス機会をつくってみせる。家族が一緒に暮らせるようにしよう、と夫に提案した」とジャダンバーは話す。「浴槽の製造は夫に任せ、それ以外の業務は私が担った。」

品質と価格の手ごろさ

当初から、夫妻は輸入品に劣らない品質の商品を、モンゴル人にも手の届く価格で製造しようと決意していた。政府から融資を断られた後、彼女はハーン銀行に出向き、彼女の会社であるMongol Vann Constructionは融資を無事に取り付けた。その後、彼女はビジネスを拡大し、現在では同国の住宅市場に供給される浴槽の半数を手掛け、そのシェアは中間所得層向け住宅市場において70~80パーセントに上っている。

ジャダンバーは、ハーン銀行の顧客となったことで資金調達以上の恩恵を受けたと語る。ハーン銀行が提供する女性起業家向け中小企業アカデミーのワークショップは、同社の成長に欠かせなかった。「創業当初は会社の会計を家計簿感覚で管理していた。ワークショップを通じ、会計管理の不足を補うことの必要性に気付き、財務諸表の作成方法も学ぶことができた」とジャダンバーは振り返る。

彼女の起業家人生は、パンデミック中に予想外の展開を迎える。ロックダウンによって輸送と物流は停滞し、モンゴル国内の建設セクターが減速したことによって、ビジネスは「絶望的な状況」に陥ったとジャダンバーは話す。収益を維持し、従業員を守るため、ジャダンバーはMongol Vann Constructionの事業多角化を決断し、将来の同様の危機に備える体制づくりに乗り出した。製造業セクターの同業者が驚く中、彼女はウランバートル市内の未開発地を購入し、イベントスペースを兼ねた2階建てのレストランを建設した。

ジャダンバーが「補完的なビジネス」と呼ぶこのビジネスは、頼もしい収益の柱となっている。2024年6月に開業したレストランはすでに大変繁盛しており、彼女はMongol Vann Constructionの従業員20数人とは別に、新たに32人を採用した。レストラン経営により専念するため、彼女はMongol Vann Constructionに新しくCEOを任命し、自身はマネージング・ディレクターに就任した。それでも同社の継続的な成長に向け経営に深く関与し続けている。

「一度何かを始めたら、自分の言葉を守り、最後までやり遂げる」と彼女は言う。

2025年3月発行