メキシコが描くグリーンビルディングの青写真
持続可能な住宅のデベロッパーが、建物の設計や建設、管理手法を見直すことで、温室効果ガスの排出量削減とともに、投資機会を創出し、そこで暮らす人々の生活の質の向上を実現している。


アルマンド・スアレスは生まれてから昨年までずっと、丘の中腹に貧しい家々がジグソーパズルのように混沌と立ち並ぶエカテペックで暮らしてきた。市街地から北に広がるメキシコシティ最大の自治区であるこの街は、無許可で建てられた赤紫色やターコイズブルー色のブロックでできた家々が無秩序に立ち並び、凸凹な丘の急斜面にレゴブロックのように積み重なっている。
しかし、ユニークかつ持続可能な住宅供給の取組みのおかげで、スアレスとその家族は現在、エカテペックから北東に60キロ離れた、手頃な価格帯の閑静なゲーテッドコミュニティ(安全性の確保のため門を設けフェンスで囲われた住宅地)であるレアル・ナヴァラで暮らしている。スアレスが暮らす新築の2ベッドルームの家は、エカテペックの街を徘徊していたギャングから離れ、玄関の外に山積みになっていたゴミからも解放してくれた。低炭素型セメントで建てられたこの家は環境に優しく、スアレスと妻のガブリエラは電気代やガス代の節約もできる。
「レアル・ナヴァラとエカテペックでの暮らしの違いは、秩序と清潔だ」とスアレスは語る。「電気やガスも節約できる。エカテペックでは不安定な電力供給システムに頼らざるを得なかったが、ここナヴァラの自宅はソーラーヒーターが設置されていて、とても助かっている。」

猛暑と干ばつが増加しているメキシコでは、持続可能で手頃な価格帯の住宅を推進する取組みへの需要が高まっている。レアル・ナヴァラは、長年にわたる“伝統的な建築手法による家”という概念に挑むことでこの要望に応えている。しかし、レアル・ナヴァラは、数ある解決策の一つに過ぎない。延床面積にして540万平方メートル強に相当する建築物がグリーンビルディングに認証されているメキシコは、新興国市場の持続可能な建設の先導役的な役割を担っている。
こうした新たな取組みは決して時期尚早ではない。国際金融公社(IFC)の「新興国市場におけるグリーン建築に関する報告書によると、断固たる措置を採らない限り、建築時の二酸化炭素排出量は、2035年までに世界の全排出量の約13%まで増加すると試算されている。同報告書は、新興国市場における建設業のバリューチェーンにおける二酸化炭素排出量の削減に必要な投融資と政策措置を分析し、その実現に必要な技術ソリューションのコストと利便性を追求している。同報告書において、メキシコは、建設業界、そして建築物の設計、建設、運営、改修方法の大幅な見直しがいかに新興国市場に不可欠で、かつ実現可能であるかを示す好事例となっている。
具体的には、同報告書が提案するように、既存の建築物については、その電源を非化石電源に切り替えるほか、屋上の反射塗料や窓用のフィルムコーティングといったエネルギー消費を抑制する新素材を使うことができる。新しい建築物については、エネルギー効率が高く耐久性のある設計、再生可能エネルギー、地域冷暖房システムの利用が考えられる。セメントや鉄鋼といった建設資材については、より低炭素型の製造工程や原材料や燃料への切り替えなどで、炭素排出量を削減することができる。
IFCのマクタール・ディオップ長官は「環境配慮型の資本市場へのアクセスを実現し、建物の設計、建設、そして運営手法を改善することで、今後10年間で新興国市場の二酸化炭素排出量を2022年の水準から12.8%削減し、1兆5,000億ドル相当のグリーンビルディングと資材への投融資の機会を創出することができる」と説明する。「世界の最も貧しい人々に甚大な経済的・人的被害をもたらす気候変動と増加する異常気象への戦いの大きな転機となるだろう。」

メキシコの谷間の町に快適な暮らしをもたらす環境配慮型の住宅
パチューカ山脈に囲まれた谷間に位置するレアル・ナヴァラは、 メキシコの不動産デベロッパーのヴィンテ(Vinte)が運営しており、淡黄褐色とベージュ色のスマートハウスが建ち並ぶ。その合間に緑あふれる公園と遊び場が点在し、ラベンダーの生け垣と香り高いベゴニアが周りを彩っている。開発地の広い道路の一角に整然と並ぶスーパーやパン屋、コインランドリーからは住民がひっきりなしに出入りしている。町の雰囲気は明るく平和だ。
セルマ・モンティエル・ロペスが、パチューカの街の喧噪から自由を求めレアル・ナヴァラに移り住んだのは5年前のことだ。当時、自宅の前に並ぶ露店の騒音と人の往来にうんざりしていたロぺスは、ほとんど外出することはなかった。現在、ゲートで囲われた分譲地で暮らすロペスと彼女の4歳になる娘カレンは、好きな時に出かけることができる。
ファイナンシャル・アドバイザーとして働くロペスは「レアル・ナヴァラに越してきたことで私たちの生活は一変した」と語る。「ここは私にとっても娘にとっても安全だ。娘は私有地や公園で外遊びをすることができる。」
レアル・ナヴァラで5年間暮らしてきたセルマ・ロペスは、グリーンな住宅が並ぶこの地での暮らしがもたらす恩恵について説明する。
近所で暮らすスアレスの自宅と同じく2ベッドルームのロペスの家は、低炭素型セメントを使い、パッシブデザインと呼ばれる省エネ住宅設計のメソッドで建てられている。すっきりとした明るい家はEDGE認証を受けている(EDGEはIFCが運営する建築物の認証制度で、持続可能な開発または建築を認証する制度)。遮熱・断熱処理をほどこした屋根のおかげで、屋内は夏は涼しく冬は暖かい。さらに効率性に優れた水道、ガス、暖房システムにより水道光熱費も抑えることができる。
ロペスは「以前の家では電気代は700ペソ(約39ドル)だった」と当時を振り返る。ロペスは、低金利の住宅ローンを組み7万ドル相当の家を購入した。「現在の電気代は約200ペソだ。以前350ペソだった水道料は、今はひと月わずか130ペソで、大幅な節約になっている」と説明する。
ロペスは公共料金の節約分で、黒髪とダークグレーの瞳が印象的な幼いカレンと、映画を観に行ったり金曜日の夜には外食を楽しんでいる。



低炭素型の住宅への確かな道のり
IFCの最新の報告書によると、建設業のバリューチェーンは、世界のエネルギー及び産業界からのCO2排出量の約40%を占めており、これらの排出量の3分の2強が新興国市場で発生している。このことから、今後10年間の鍵を握るのが建物の設計と運営手法だとヴィンテの共同創業者兼CEOのレネ・ハイメ・マンガーロ氏は語る。

ヴィンテの共同創業者兼CEO、レネ・ハイメ・マンガーロ氏
ヴィンテの共同創業者兼CEO、レネ・ハイメ・マンガーロ氏
EDGE認証を受けた世界最大にして初の住宅開発案件となるヴィンテの1万戸以上に及ぶ環境配慮型の住宅は、世帯あたり平均で32%の光熱費、1軒当たり平均67%の建築資材内包エネルギーの削減を実現していると同社のマンガーロCEOは語る。
こうした事実は、環境への意識が高い消費者を惹きつけるのみならず、建設業のバリューチェーンを含めメキシコ全土で低炭素経済の成長を推進する上で不可欠だ。
この需要を喚起する鍵となるのが、低炭素型セメントとグリーンスチールの存在だ。世界中、ほとんどの建設プロジェクトで、コンクリートの主な原料であるセメントは欠かすことができない。元来、セメントは鉄や鉄鋼に比べて二酸化炭素排出量も少なく、インパクトが低い材料ではあるが、世界的にその使用量が膨大であることから、総合的な排出量は人為的二酸化炭素排出量の8%を占めるに至る。セメントと骨材を混ぜて作るコンクリートの一人当たりの年間生産量は、平均約4トンに相当する。
ヴィンテの共同創業者兼CEOであるレネ・ハイメ・マンガーロ氏は、同社のような企業が、メキシコでの低炭素型建材への需要拡大を牽引できると説明する。
こうした数字は今後も増えていくとみられる。世界で不適切な住環境で暮らす人々の数は10億人以上に及ぶ。都市化の加速は、今後10年間の建設の大半がグローバルサウスに集中することを示唆している。現地での低炭素型セメントの技術の普及が、この需要を満たす上で極めて重要となる。IFCの最新の報告書によると、すでにグリーン水素の技術と炭素回収は、セメント業界の脱炭素化の有望なソリューションとして注目されている。
「メキシコの住宅需要は推定で900万戸以上と言われている。つまり、業界全体で画期的な建築システムを取り入れ、低炭素型の建材利用を促進する大きな機会が存在している。」
何世紀も使われてきた資材のカーボンフットプリントを削減する
スイス連邦工科大学ローザンヌ校の実験室で科学者が完成させた低炭素型のセメントが、既に世界中で生産段階に入り、アフリカでは10拠点以上で生産に向けた準備が進んでいる。「LC3セメント」と呼ばれるこの製品は、何世紀も使われてきたセメントの化学的性質を数十年にわたり研究してきたイギリスの物質科学者カレン・スクリヴァナー氏が開発した。
従来のセメントの生成方法では、石灰石をキルンと呼ばれる炭素集約度の高い焼成窯で高温で焼きクリンカーを排出させる。このクリンカー製造過程の、化石燃料を燃やす工程と石灰石を分解する際の化学反応で二酸化炭素が排出される。LC3セメントは、クリンカーの約半分を焼成粘土と石灰石微粉末で代用している。この粘土を燃やす温度は約800度と従来よりはるかに低いことから、炭素排出量に加えエネルギーの消費量も減らすことができ、コストも相対的に低く抑えることができる。
スクリヴァナー氏曰く、コロンビアの全長768メートルのマドレ・ローラ橋を、従来のセメントではなくLC3セメントで建設した場合、二酸化炭素の排出量は9,000トン以上削減できるという。これは、1万5,500人がサンフランシスコからニューヨークまでアメリカ大陸を横断飛行する排出量に匹敵する。
「水に次いで世界で2番目に多く使用されているのがコンクリートだ。コンクリートのない生活は考えられないが、そのカーボンフットプリントを大幅に削減することはできる。」
二酸化炭素の排出量を従来のセメントより40%抑制できることに加え、LC3は不純物の多い粘土でも製造が可能で、純度の低い粘土の埋蔵量が多い新興国市場にとっては、実際に大きな魅力となっている。LC3は、インドとキューバですでに本格的な試験導入が終了し、アフリカとインドで焼成炉の稼働体制が整うなど、すでに複数の市場への進出を果たしている。
「LC3はすでに存在している。よりスピーディーな普及が必要だが規模の面で問題はない」とスクリヴァナー氏は説明する。「世界の大半の地域でこれは実現可能であり、(焼成炉も)1~2年で設置することができる。二酸化炭素の削減は火急的課題であることから、これは極めて重要だ。50年後に現れるかもしれない奇跡的な解決策を待っている余裕はない。」

低炭素型セメントLC3の開発者であるカレン・スクリヴァナー氏
低炭素型セメントLC3の開発者であるカレン・スクリヴァナー氏
造れば、おのずとやってくる
しかし、新興国市場のサステナブル・ファイナンス市場の発展は未だ不十分で、多くの課題が残る。なかでも建設業界の排出量の大幅削減をどのように実現するかが喫緊の課題となっている。こうした中、既にメキシコでは、情報に精通した金融機関がこの急増する需要を生かした画期的な商品の開発に取り組んでいる。
メキシコで第2の規模を誇るサンタンデール銀行は7月、IFCと連携の下新たなグリーン・モーゲージ商品を発表した。これは、ロペスやスアレスのような人々による手頃な価格帯の低炭素住宅の購入を後押しするものだ。ローンは1万ドルからで金利は8.85%とメキシコでも最低水準で設定されている。住宅がEDGEのアドバンス認証を受けていることがこの融資を受ける条件だ。10月には、もう一つのメキシコの大手銀行であるHSBCが追随し、同様のグリーン・モーゲージ商品の提供を始めた。
サンタンデール銀行は、サステナブル・ファイナンスの提供を通じ、不動産開発業者への支援も行う予定で、メキシコでの建設業者のグリーンエコノミーへの移行を後押ししていく。

サンタンデール銀行パーソナルバンキング担当エグゼクティブ・ディレクター、アントニオ・アルティゲス・フィオル氏
サンタンデール銀行パーソナルバンキング担当エグゼクティブ・ディレクター、アントニオ・アルティゲス・フィオル氏
「現在(環境配慮型の住宅への)需要は高まっており、サプライチェーンがその対応策を模索している。当行の取組みは、需要と供給という2つの側面を融合させることで、このような住宅を求める顧客は最善の市場環境にアクセスでき、建設業者は成長軌道にある市場が存在すると確信をもって、住宅の建設に積極的に取り組むことができる。」
レアル・ナヴァラでは、子供たちが近くの学校から元気に帰宅してくる中、スアレスは、この街に移り住んだことで生活がどのように変化したかを思い返す。
環境配慮型の住宅で暮らすことで、光熱費を節約でき家族の生活の質が大幅に改善した。
「節約分で、(家族と)散歩やレストランに行き、近くの魅力的な街を訪れるができる。」



「節約分で、(家族と)散歩やレストランに行き、近くの魅力的な街を訪れることができる。」

協力:アリソン・バックホルツ、ソル・デ・マリア・ガルヴァン、アンジェラ・ニヘリ・ムリイチ、ジュリア・シュマルツ
2023年10月発行